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COLUMN美容コラム

私がワクチナイザーを開発するまで

1.肌の変化とともに歩む激動の美容人生

 子供の頃から好奇心が旺盛で、いろいろなことを知りたがる性格でした。父が、当時急成長をしていた化粧品会社に勤めていたこともあり、常に身近に化粧品がある生活。そのせいか、自然に美容に興味を持つようになっていきました。当時の私は、地黒がコンプレックス。母のような白い肌に憧れを抱いていたので、どうすれば白くなれるのか、そんなことばかり考えていました。実際に、10代後半に始めたスキンケアで肌がどんどん白くなっていったことに感動し、『肌は変われるんだ!』と気がついたことで、ますます美容にのめり込むようになっていったんです。

 20代中盤からは、数百という化粧品を使い、雑誌25ansで自分の美容法や商品を紹介するようにまでなっていました。年齢と共に悩み別にアイテムがどんどん増えていき(美白だけでもアプローチ別に5種類)、気づけば常時10種類以上も使うように。そして30歳を超えた時、人生が転覆する出来事が起きました。「私は一度死んでしまったことがある」といえるほどの離婚でした。体重は38㎏に、生理は止まり、ダメージはとても大きく、せっかくお手入れし続けていた肌もボロボロに。なんとか立ち直った頃には離婚から1年が経過していました。この経験から、ストレスは肌に大きな影響を与えることに気づくことができました。

Happy family! Mother and daughter child girl are caring for skin in the bathroom.

2.美容マニアから美容家、そして化粧品開発者へ

 離婚を機に、私は女性に幸せを感じてもらう仕事がしたい。そう強く決意しました。自分のできること、それはやっぱり美容だったんです。もともと好奇心・探究心も旺盛、好きなことを深掘りして勉強することも得意だったのですが、美容マニアとしてだけの知識では足りない。皮膚は内臓の鏡。理論の厳しいエスティックの学校に半年通い、皮膚科学から大脳生理学や解剖学まで体系的に基礎を学びました。そのおかげで皮膚図もスラスラ描けるほどの知識を得ました。それでもまだ足りないと感じ、学会に参加し、学術誌を読みこみ、国内外の知人のサイエンティスト達からも教えを乞い、専門知識を徹底的に身に着けていきました。そして、学べば学ぶほど自分のケアは間違っていたことに気づいたのです。

 化粧品には、肌のためだけでなく、化粧品のための成分(防腐剤やpH調整剤など)があるということ。アイテムの重ね付けは肌に負担が多いのだと。けれども、肌への優しさと効果を両立させている信用できる化粧品がどこにもない。それなら理想の化粧品を自分の手で作ろうと、美容家から化粧品開発者への一歩を踏み出しました。

3.大ヒットコスメ開発から継続して、世にない化粧品を生み出し続ける

 私が初めて開発した新発想のクレンジングバームは、大ヒットコスメになりました。また、「疎水性である肌に化粧水は意味がない。日本の常識、世界の非常識」といわれていたため、「本物の潤いとは?」を追求して開発したのが、段階を分けて肌奥までうるおう三段階の深層保湿の化粧水。細胞の水の通り道、アクアポリンに着目した先駆けで、これも多くの女性に支持されました。そのときも今も同じ気持ちで、「すでに世にあるものは作らない」と決め、貫いています。そして、私自身が「こんな化粧品があったなら、欲しい、すぐ使いたい!」と思える商品だけを開発しています。

 化粧品の成分を開発側から考え、再認識したのは、テクスチャー演出など余分な成分が含まれ、本当に肌に必要な成分の配合量が少ない化粧品の多さ。惑わされ、信頼できない化粧品の多さ。であれば、専門家と美容好きの両方の目線を持った私にしかできないこととして、成分や配合量まで徹底してこだわり、信頼される商品の開発を私自身が行えばいいと思いました。そして、あらゆる面でこれまでの常識を超えたスキンケア「ワクチナイザー」が誕生することになったのです。

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